山道を男が二人歩いていた。
「こんな田舎に山持ってても売れもしないし邪魔になるばっかりでホント大変なのに、そのくせ固定資産税だなんだと税金むしり取るんだから、ほんと国なんてひどいもんですよ」
年の頃は四十を過ぎたろうか、派手なシャツを着てサングラスをつけた男が、スーツを着て隣を歩いている男に声を掛けた。
「いや、でもなかなか手入れが行き届いて、いい山じゃないですか、だいぶしっかり管理されていたんでしょうなあ」スーツ姿の男は木々の密度や太陽の方角、山の傾斜の具合などあちこち眺めながら返事した。
「まあ、うちの親父は真面目だけが取り柄みたいな人間でしたからね――全く、金になるからといくら言っても聞く耳も持たないんだから、結局、時代に乗り遅れちゃってねえ。ほんと田舎の人間ってのは頭が固いっていうか――そんなんだから一生貧乏なままなんですよ」
「まあまあ――でもいんですか金田さん、お父さんが亡くなられたばっかりだってのに、お父さんが大事にされていた山に手をいれちゃって」
「どうせ売れもしない山なんだから、なんとかして金を稼いでもらわないとこっちが冷やがっちゃうよ――で、どうなんです、太陽光発電。なんとかなりそうですか」
「いや、正直予想以上でしたよ。山の斜面を利用して太陽光発電したいって相談は、実は結構あるんですけど、大抵、傾斜がきつかったり、木々が生えすぎて伐採にコストがかかるケースがほとんどで採算取れないんですけど、ここは南斜面で傾斜もちょうどいいし、それに、しっかり間伐されてるから、これなら整地するのもだいぶ楽ですよ」
「じゃ、お願いできますかね」
「ええ。後でシュミレーションしてみますよ――あっ、ちょっと待ってください。あそこにあるのは祠じゃないですか」
黒川と呼ばれた男が急に前方を見据えて声を上げた。金田と呼ばれた男も、そちらの方を向くと、ああと思い出したように、「そう言えば、この山道の先には小さな祠があるんですよ」と言った。
「……祠ですか」黒川は少し面倒な顔をした。
「いやいや、石を置いてるだけで、親父以外誰も手をかけてなかったし、何の支障もありませんよ」金田は慌てて説明した。
「ほんとに大丈夫ですか? こういうもの壊すと、後々地元からクレームきたりして大変なことになることもあるんですよ」
「なに、ここは代々うちの土地だし、地元に残っているのは、今にも死にそうな爺さんや婆さんばかりだから、そんな面倒なこという奴は誰もいませんよ」
金田はそう言うと祠に近づき、積んであった石を蹴りつけた。
「こんなもんがあるから、いろいろ面倒なことになるんだよね。こんなもんは今のうちにさっさと無くしちまった方がいいんだよ」
「そんな乱暴な、だったらちゃんとお祓いして、お遷り願ってですね――」
「だって、その費用も結局は私が払うんでしょう」
「まあ、そりゃそうですが――」
「そんなくだらないことに金払う馬鹿はいませんよ。ましてこんな石ころだけの祠なんて」
金田はそう言うと、立ててあった石をずり動かして、ごろりと押し倒した。その反動で台座と思われる石の方に亀裂が入った。
「黒川さん、あんたは見なかったことにすればいんだから」
「参ったな――じゃ、私は知らなかったことにしますからね。後で地元から文句が出ても、うちでは責任追いかねますよ」
「分かってますって」
男たちはそう言うと、二人一緒になって倒した石をよいしょよいしょと転がしていき、傾斜がきつくなっているところまでもっていくとそこで一気に石を蹴落とした。すると石はごろごろと下に転がっていき、終いには全く見えなくなってしまった。それを確認すると男たちは満足げに頷き合い、もと来た道を帰っていった。
祠があった場所は、今や台座に使われた石が寒々と残るだけだった。その台座ももはや二つに割れてしまっていたが、表面には墨で何やらの文字が書かれていた。かすれて読みにくかったが、そこには荒覇吐という字が書かれていた。
その夜、金田と黒川は金田の実家でビールを飲みながら談笑していた。
「いまどき、囲炉裏なんて古風ですね」
「最近じゃ、こんなもんが人気らしくて、田舎暮らしだとかテレビでいろいろやってますが、まったく馬鹿馬鹿しくて見てられんですよ。私からいわせりゃ、人生の負け犬たちが、なんだかんだと言い訳して、逃げ場所探しているだけのことですよ」金田は周りを見渡して吐き捨てるように言った。
「金田さんは相変らずですね」黒川が笑った。
「そんなこと言うけど、黒川さんとこだって、田舎の使えない土地を使って、太陽光発電進めてるんでしょう」
「いやいや、太陽光発電やれば、遊休地も活用できて、田舎にもお金が落ちますからね」
金田は、慌てて弁明する黒川を見てにやりと笑った。
「まあまあ、そんなにかっこつけなくてもいいですよ。それに黒川さんの言う通りなら、なんで、東京の僕らみたいな人間の方にPRしてるんですか」
金田はそう言ってカバンからチラシを取り出した。
「『手に負えない山や田畑から金が湧き出る! 田舎に土地をお持ちになってお困りの皆さん、今が資産形成の大チャンス!』ですか――まあ、結局はお宅たちも田舎を食い物にしているんでしょ」
「そりゃまあ、一応はビジネスですからね」黒川は苦笑した。
「いやいや、それでいんですよ。田舎なんてものは、東京で働いている我々が払った税金でなんとか食いつないでいる寄生虫みたいなもんだからね。利用できるものは、なんでも利用しないとね」そう言うと、金田はビールを一気に飲み干した。
だいぶ、夜も更けた頃だった。玄関の方から、どんどんと音がした。
「――誰だ、今頃」
すっかり酔いが回った金田が至極迷惑そうな顔で玄関の方を見た。すると再び、今度はさらに強く、どんどんと音がした。
「分かった、分かった」そう言うと金田は立ち上がって、土間を抜けて玄関の方に向かった。
「どなたですか、こんな夜分に……」
不機嫌そうにそう言って、玄関を開けた瞬間、金田の頭は無くなっていた。
声もなく、どさりと音がしたのを不審に思った黒川が、「金田さん、どうしました」と声を掛けて土間の方を見やった。すると、どさっどさっという足音とともに土間に異様なものが現れた。鬼の面をかぶった巨大な男だった。それは昔、テレビで見たなまはげに似ていた。その手には大きな斧が握られていたが、その斧は赤く濡れていた。
「だ、だ、誰だ!」黒川は後ずさりながら震える声をあげた。その鬼は土間からのしのしと床間に上がってきた。鬼の顔がどんどん近づいてきた。その時ようやく黒川は気が付いた。こいつは鬼の面をかぶっているんじゃない、これが本当の顔なんだと。それが黒川が最後に思ったことだった。