「それにしても聖者は、森の中で何をしておられるのですか?」とツァラトゥストラはたずねた。
聖者は答えた。
「わしは歌をつくって、それを歌う。歌をつくるとき、わしは笑い、泣き、唸る。こうしてわしは神を讃えるのだ。歌を歌い、泣き、笑い、唸ることによって、わしはわしの神である神を讃える。ところであなたはわれわれにはなんの贈物をしてくれるのかね?」
このことばを聞いたとき、ツァラトゥストラは聖者に一礼して言った。
「あなたにさしあげるような何者があるでしょう! いまはあなたから何物も取らせないように、わたしをさっそく立ち去らせてください!」
こうしてこの老者と壮者とは、さながらふたりの少年が笑うように笑いながら、わかれたのであった。
しかしツァラトゥストラがひとりになったとき、かれは自分の心にむかってこう言った。
「いやはや、とんでもないことだ! この老いた聖者は、森のなかにいて、まだ何も聞いていないのだ。『神が死んだ』ということを」
引用:『ツァラトゥストラはこう言った』(著:ニーチェ 訳:氷上英廣)
この本にインスピレーションを得て一編の物語を書いた僕にとって、この本はまるで宝の山だった。
そこには数え切れないほどの珠玉の言葉があり、僕はいちいちそれにマーカーをつけたため、今ではこの本は真っ赤になっている。
その中でどれを選択しようか悩んだが、結局これにした。
「神は死んだ」と説いたニーチェ。
恐ろしい言葉だ。でもそれは神を盲信し、教会に盲従したあの時代を突き抜けるためにはどうしても必要なことだった。
今、人はようやく神から自由になり、人間の価値を認識できるようになった。
でもニーチェは単に無神論を説いたのだろうか。
僕はそうは思わない。
ニーチェは神ではなく、神ではない別なものを人が生きる拠り所とすべきだと説きたかったのだと思う。
それは一人の人間として高みに昇ろうとする意志であり、至難に挑まんとする心。
ニーチェはそういう魂を持つ人間を超人と呼び、新しい世界の導き手として捉えていたんだと思う。
ニーチェの言葉は現代においても、輝きを放っている。
その言葉に僕たちが共感できる何かがあるからだろう。
僕はこの本から多くを学んだ。
僕は超人たりえる人間ではないが、超人が持つ思想を胸に抱き、日々前に進みたいと思っている。