やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。
引用:『古今和歌集仮名序』(著:紀貫之)
古今和歌集。日本初の勅撰和歌集として紀貫之らによって編纂された和歌の書。
この中には当時の優れた歌人たちが詠んだ歌が集められており、学校でも習うのでそのいくつかはご存じのことだろう。
だが僕はこの序文の方にこそ惹かれる。
この文章はとても不思議だ。
普通であれば、天地の美しさ、荘厳さ、いわば自然に力があり、その力に動かされて言葉が出てくるような気がする。
だがこの文では言葉に力があり、その力が天地を動かし、鬼神の心すらやわらげると言う。
そして僕たち日本人は、そのことをなんとなく当たり前に受け入れている気がするのだ。
言霊とか言葉の力とか、そんな大層なものでなくても、挨拶や感謝の言葉を口にすることの大切さを、僕たちは自然と教えられてきた。
たった一言の言葉が人を動かし、人と人とをつなぎ、世界を変えるきっかけになるかもしれない。
だからこそ、言葉は大切だ。
だからこそ、いい言葉でいい文章を書きたいと思う。
この日本という国に生まれ育ったものとして、言葉を大切にし、後世に語り継いでいきたいと思う。
リンク