今日は、この方のコメントです。
「風景描写は大事ですよね。自分の場合は異世界物を読むのも好きで、書いている訳ですが……
「異世界ものに余計な風景描写はいらない。そこはよくある中世ヨーロッパ風のまちだったとでも書いとけばいい」
と言うのが、ちょっと違うだろって思いました。勿論、そういう中世ヨーロッパ風の街は異世界につき物です。でも、異世界であっても風景描写は大事だと思う。だって、異世界のいいところって、全てが空想で出来てるんですよ? もっとも神秘的な世界を創れるのが異世界じゃないかと思うんですけどね……まぁ、そう言う私も文章力にあまり自信ないので、偉そうな事は言えないのですが… だからと言って異世界だから風景描写をしないと言うのは、すごくその作品の世界観で損をしてると思う。出すぎた意見かもしれないですが……」(Nさん)
この創作論(?)のかなり始めの頃に書いた風景描写の必要性。
実は今、それで物凄く苦労している。
表現力が枯渇している自分がもう情けなくて、情けなくて。
やはり、もっと自然の中に出るべきなのかもしれない。
自然の中に身を置いて、虫の声を聞き、風の音を感じ、水のせせらぎを眺める。
そうしないと感性が研ぎ澄まされない。
コンクリートの中で、いくらテレビや本を見たところで、その音は体の中に入ってこない。そんな中でいくら頭を捻ろうが、ありきたりなしょうもない陳腐な文章しか浮かんでこない。
風景描写とはただ風景を説明するだけじゃない。
キャラの心情の表現方法の一つであり、物語がどこに向かって進んでいるか示すベクトルのようなものなんだ。
それが書けないと物語に深みが出ない。
そこをうまく書けるか書けないかの差こそが、プロとアマの決定的な違いじゃないかとすら思う。
シーンは頭の中にあるのに、それをスケッチできていない。
いや、もしかしたら、その思い描いているシーンがぼんやりしすぎているのかもしれない。
書きたいテーマは作品の中に込められるようになってきた。
キャラもまずまず立ってきた。
でも、その物語の世界をうまく表現できない。
風景でも背景でもオブジェクトでもなんでもいいがとにかく、そこにあるシーンをうまく、そして立体としてあるかのように表現できない。
全てはスケッチ力の不足。それに尽きる。
もっと外に出なければと思う。街並みを、自然を、本当の世界を見なければと思う。
世界は目の前にある。
見ようとしないから、聞こうとしないから、体に入ってこないんだと思う。
自分が下手糞だと認識しろ。
お前はもともとそんな才能なんてないんだ。
だったら、ひたすら練習するしかないじゃないか、一発でうまく書こうと思うな。
とにかく書け! がむしゃらに書け! 何かを信じて書け!
今日も自分を信じて書こう。
※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。