アマチュア作家の成り上がり小説ブログ

素人作家がどこまで高みに昇りつめることができるか

好きな時代を探してみたら、書きたいものが見つかった

今日は、この方のコメントです。

「力が正義という時代。家柄や血筋が通用しない時代。暴力渦巻く時代に弱き人たちが団結して知恵と勇気で乗り切るのが好きです。好きな時代を探してみたら、なるほど! 自分が何を書きたいのか、というのが明確になりました。ありがとうございました」(Hさん)

 
 前に「書きたい時代」というテーマについて私見を述べましたが、結構、共感いただいた方が多かったです。

bunchiku.com


 毎度毎度言ってますが、自分は何を書きたいのかという問い、それを突き詰める際に自分が関心ある時代を探っていくというのは一つの手法なんだと思います。
 自分が好きな時代が分かれば、書きたいものの輪郭が浮き上がってくる。
 中世の宮廷文化が好きなら、貴族たちの甘い恋愛物語なのか。
 戦国乱世が好きなら、英雄たちの興亡のドラマか。
 江戸時代なら、庶民の人情ものか。
 
 でも普通であれば、僕たちはこの時代に生きているのだから、この時代に対するなんらかの思いが物語を書きたいというきっかけを生むはずだと思うんです。
 でもなぜかそれがよく見えない。
 それは自分たちが生きているこの現代という時代がひどく曖昧で、どうにも捉えがたいからなのかもしれません。
 今って、どういう時代なの?
 貧困というほどではない。
 一応、平和なんだろう。
 物質には恵まれている。
 だったら、最高の時代なの?
 なぜか、そう思えない。

 文学というのは、時代とともに流行が変化します。
 だから、その当時の文学を読めば、だいたいその時代の人々の思考や、時代の空気が分かるはずなんです。

 で、今。
 僕はどうにも今という時代の空気が分からないんです。
 かなり前ですが村上春樹氏が「ノルウェイの森」という作品を書きましたが、ああいうのが、今の時代の空気なんでしょうか。
 だとすると、今の時代の人間というのは、なんとも透明で冷めて見える。
 確かにそうなのかもしれない。

 

ノルウェイの森


 でも、文学って、時代を映す鏡という役割だけじゃないと思う、時代を作る役割だってあると思う。
 僕は偉大な文学は全て後世に大きな影響を与えるものだと思う。
 だからこそ、僕は今の時代をリアルに書きたい。
 今の時代の欺瞞、偽善、汚らしさ、そういうものを全部曝して、なおかつ、そこで必死に生きる人間の物語を書きたい。

 僕は今の時代の人間が透明で冷めているとは思っていない。
 今を生きる人間だって、熱く燃えるものを魂の中に持っているはずだ。
 僕は、それをこそ書きたい。

 

「カクヨム」に関するまとめ記事はこちら

※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。

 

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