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【創作昔話】『山の神』

 

 

はじめに

 昔、日本昔ばなしというアニメがありましたが、僕はこのアニメが大好きで、毎週欠かさず見ていました(今でも、主題歌歌えますよ。坊や~、よいこだ、ねんねしな~)。なので、それにあやかって、こんな話を書いてみました。少し大人向けの日本昔ばなしですが、気楽にお読みください。

 

 

本編

 

(上)

 その昔、出雲の国で須佐之男主すさのおのみこと八岐大蛇やまたのおろちを退治し、櫛名田比売くしなだひめを救ったのはよく知られておりますが、実は、そのような話は各地にたくさんございまして、中にはなんとも哀れな話もあったそうでございます。これは、ある村に伝わる、そんな話の一つでございます。


「今年も、また、あの日が近づいてきたのお」

「ほんに、あの日が近づくと、なんとも気が滅入ってかなわん」

 

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(中)

 さて朝日も昇り、いよいよ神奈備山に向かう刻限が参りました。
 裃をつけた村長と佐五平、そして兄や姉、隣家の村人たちは既に家の前に勢ぞろいしております。その中を白装束に身を包んだお妙が母に手を引かれて、家から出てまいりました。
 お妙は用意された籠の前に立つと、一度、後ろを振り返り、集まった人たちに頭を下げ、そのまま黙って籠に乗りこみました。

 集まった人々は皆一斉に手を合わせ、お京、お園の二人の姉も、涙をぼろぼろ流し、すまぬ、すまぬと心の中で叫びながら、仏さまを仰ぐように、お妙一行が去って行く姿をただひたすら眺めていたのでございました。

 

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(下)

 すると、後ろから大きな声が聞こえてまいりました。

「なんだ、女がおらぬ」

「女はどこだ、どこぞに逃げおったか」

「おのれ、逃がさぬぞ」

 

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読者さまからいただいたコメント

 

 ここからは、これをカクヨムで投稿した時にいただいた読者様からのたくさんのレビューやコメントの一部を紹介させていただきます。

 

 語り口が本当に昔話をその場で読み聞かせられているようで、入り込みやすかったです。『あさましい』と作中でも表現されている通り、生命について、人間が生きることについて良く良く考えさせられるメッセージ性の高い作品になっております。 自分はどうしてここまで生きて来れたのか? と考えるとグサリと胸が痛む内容です。とは言え非常に読みやすい話となっていますし、目を背けてはいけないことだとも思うので是非とも皆様に読んで欲しい話だと思いました。(Kさん)

 

 現代では一昔前より昔話の類いを聞かなくなった気がします。田舎の祖父母との疎遠、語り部の減少、子供の塾通いや行動の制限……。二十年程前ならアニメでも目立つ時間帯でやっていましたが、今はかなり少なくなりました。昔話というのは何等かの教訓を含んでいる物語……当然この話もそうですが、大人にこそ読んで貰いたいと感じました。(Aさん)

 

 昔話で一度は聞いたことがある、生け贄を差し出す儀式。こんなことで災害がなくなるわけがないとバカにしていましたが……このお話では何か納得させられてしまいます。はたして誰が生け贄を喰うのか!? 正体を知った時、恐怖以外にも感情がわき上がるはず!(Tさん)

 

 生きとし生けるものには皆、命がある。 命に軽重が、美醜があるのか、今一度問うお話です。(Kさん)

 

 「頂きます」と食事の前に手を合わせるのが、形だけになっている事を反省しました。鬼の目にも泪……この鬼を深く広い意味で捉えると、己が生き延びるために犠牲をかす親や村人達にも当てはめられました。国語、道徳の教科書に載せて子供達に学んで 欲しい作品だと思います。(Hさん)

 

 何の考えも無く、美味しいと食べていた鯉が、鬼となり、お妙の体を……何とも無情としか言いようがありませんでした。昔話という設定ではあるものの、生きること、食べることについて、色々考えさせられる内容だったと思います。人間も、この世に生きる生き物のひとつでしかない……そう考えると犠牲になった生き物への感謝の念が起きました。お妙が逃げ延びることができなかったのが残念ですが、最後には動物たちも含めてみな浄化されていく所に、救いを感じたような気がしました。(Yさん)

 

 山の神の生贄に姉妹の中で、器量が一番劣っていた娘が、父によって選ばれた。可愛そうな娘のため、イノシシは屠られ、鯉は活け造りにされる。おいしいおいしいと、娘はその屠られたいのちを食した翌日。今度は山の神に自分が食される番となった。 生への執着さえも捨て去らねば、輪廻の輪から解脱はできぬ。(Sさん)

 

 

あとがき

 僕は日本昔ばなしほど、日本の文化、精神を教えるのに適したコンテンツはないと思っているので、是非とも日本昔ばなしをテレビで放送してほしいです。

 民放だと視聴率とかスポンサーとかいろいろ大変だろうから、まさに国営放送であるNHKが版権を買い取るなり、新しく、作るなりしてやってくれないかな。

 今の社会で一番もの足りないもの。
 僕はそれは教育だと思います。
 学校で教えるべきことは、受験勉強のためのスキルじゃないんですよ。
 ただただ知識を詰め込むことじゃないんですよ。

 確かに学校の先生は大変だと思います。
 本当に、よくやってるなと思います。
 だけど、僕らの時の先生という存在は、ある意味でおっかない存在だったし、立派な人だという思いが少なからずあった。
 学校生活の中で社会を知り、生き方を教わる、それが日本という国のあるべき教育の姿だったんじゃないかと思うんです。

 ただ、ネットが普及し、子どもであっても簡単に世界とつながれる現代において、それを先生たちだけに求めるのは酷なんだろうと思います。
 だからこそ、あらゆる手段を使って、子どもたちが正しい道に進めるようにしてあげなきゃいけない。それが大人としての最低限の務めだと思うんです。

 そんな思いも込めて書いた日本昔ばなし、ほんのわずかでも皆さんの心に何かを残せたら、作者として望外の喜びです。

 

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