はじめに
この短編は、僕が生まれて始めた書いた処女作になります。今読み返すと、稚拙な部分が多々ありますが、それでも自分にとって大切な作品であることには変わりませんので、暖かい目で読んでいただければ幸いです。
本編
(一)
私は東京で生まれて東京で育ちましたので、田舎というものを知りません。
本や映画でしか田舎を知らない私にとって、田舎というものは透き通るような青い空に綿あめのような雲が浮かび、緑の稲穂が絨毯のように広がり、田んぼを縫うように小川があって、小魚がキラキラと泳ぎ回り、山に行けばキノコやタケノコがわさわさとはえて、田んぼの中にぽつんと浮かんだ人家の周りを虫や鳥や獣たちが自由に行き来し、自然と生き物たちの奏でるハーモニーが日ごと夜ごとに繰り返される、そんなわくわくするような光り輝く世界なのでした。
夏休みがくるたびに田舎に帰るんだと自慢げに話す友達が本当に羨ましくて、その頃から、大人になったら絶対に田舎に住むんだと心に決めていたのでした。
最近では田舎暮らしをしたいという人たちのために移住フェアというものが盛んに行われているようで、ようやく大人になった私はそんなフェアの一つに、わくわくしながら向かったのでした。
(二)
私が移住したその家というか小屋は、板間が八畳ほどしかない本当に小さなものでしたが壁も漆喰で塗られているし柱も案外太いのでかなり頑丈にできております。なによりも床間にちょうどよい囲炉裏があるのが大変気に入りました。
私にとっては田舎暮らしというものは囲炉裏抜きには考えられないのです。囲炉裏にくべられた薪の爆ぜる音やゆらゆらと揺らめく明かり、寒い夜には家全体をほんわかと温めてくれるし、ご飯時には鍋から湯気が噴き出し、いい匂いがあたりにぷーんと漂う、そんな光景を考えただけで幸せな気持ちになってしまうのです。
移住して最初の数日は家の脇の畑を耕すのにだいぶ苦労しました。それというのも、放棄されてからだいぶ経っているので、草ぼうぼうで畑というよりもただの野原になっていたからです。
私は鎌で草を刈り慣れない鋤と鍬を使って、どうにかこうにか猫の目ほどの畑を作ることができました。その猫の目くらいの畑をさらに小さな区画に分けて、カブに小松菜、ホウレン草、ニンジンにジャガイモと少しづつ種を植えました。なんといっても私一人ですし、そんなにたくさんはいらないのです。
(三)
そんな、ある日のこと、田中さんが家にやってきました。田中さんは家の中をぐるっと眺め渡すと、「ここに住んでみていかがですか」と不安な様子で私に尋ねてきました。
「大変に良いところで毎日楽しく過ごしております」
私が笑顔で答えると、田中さんは真底からほっとした様子でしたが、
「なるほどなるほど。いや、移住したいという方はたくさんいるのですが、実際に住んでみると自分の想像とは違ったと言って、すぐに出ていってしまう方が案外いるのですよ」となんだか寂しそうに言いました。
(四)
その夜は一睡もできなかったので、私は明るくなるとすぐに小川に行って、顔をじゃぶじゃぶと洗いました。熊がしゃべるなんて童話じゃあるまいし、おそらくねぼけていたんだろう。すっきりした私はようやく納得して、濡れた顔をタオルでごしごしとふきました。
その時です。林の中でガサゴソと音がしました。私はギョッとして音がした方に顔を向けました。その音は段々と大きくなっていきました。草の擦れる音だけではなく、動物のいななく音も聞こえてきます。それも、一匹や二匹ではありません。何かの群れがこちらに近づいているようでした。
(五)
それから数日が立ち、私は意を決して、区長さんに誘われた地区の集会に顔を出してみることしました。
里に降りると、あたり一面、緑の稲穂が広がっていました。その稲穂に夕暮れの残照があたった様は、まるで緑色の波が広がる大海原のようでした。ですが、私はそんな美しい景色とは裏腹に暗い気持ちで田んぼの中の一本道をとぼとぼと歩いておりました。
一時間ほども歩いてきて、ようやく先の方に平屋の建物が見えてきました。どうやら、あそこが区長さんに教えられた集落会館のようです。
(おわり)
私は頭を下げたままでしたが、しばらくは物音一つ聞こえませんでした。すると、突然誰かがパチパチと拍手しました。それが合図のように、会場が割れんばかりの拍手であふれかえったのです。
「いやいや区長さん。あんなとこに住むなんていうから得体のしれないのが来たなんて言っとったが、こりゃ、私が間違っていたようだ。なかなか良い若者じゃないですか」
頭はぼさぼさで顔一面髭だらけの熊沢さんという方が、大きな体を森山さんに向けて部屋中に響くような声で言いました。
読者さまからいただいたコメント
ここからは、これをカクヨムで投稿した時にいただいた読者様からのたくさんのレビューやコメントの一部を紹介させていただきます。
美しい文章で紡がれる、ちょっと不思議で、勇気を貰える物語。文章が非常に丁寧で読みやすいです。整っていて、綺麗で、物語世界に引き込まれます。紹介されている田舎の情景を想像すれば、こちらもわくわくと胸が浮き立つ物がありました。田舎でののんびりほのぼのスローライフかと思えば、ちょっと不思議な体験を交えつつ一人の青年が大きな一歩を踏み出すまでの物語。読後感がとても良く、あとがきのコメントには前向きな気持ちを貰えました。もっと沢山の人に読んで欲しいと切に願う素晴らしい小説です!(Kさん)
表題通り、そしてPRにもある通り、宮沢賢治をかなり意識して書かれた作品です。オマージュ、と評してしまっても良いのでしょうか。主人公は宮沢賢治が大好きで、都会生まれ都会育ちの身でありながら、氏に縁のある岩手の田舎に引っ越すことを決める。最初は美しい自然の中での暮らしに浮かれていたが、そうそう良いことばかりな訳も無く――文体も宮沢ファンにはすっと入ってくる丁寧さ、読みやすさですし、描写の一つ一つが本当に美しい。童話的なファンタジー要素も少し足されていて、すっかり世界観に引き込まれました。私は「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」くらいしか知りませんが、十二分に楽しめました。教科書くらいでしか読んだことないよ!…そんな方でも、安心して楽しめます。勿論、真の宮沢賢治好きならきっと…。(Aさん)
息の詰まる現代のおとぎばなしとして。実際にはこんなにほっこりした、素敵な田舎暮らしは実現しないと思いますが、もし出来たらとてもすてきだなと思えるお話です。こんな風に行動出来たら、自分が変われたら……今の自分の生活に息詰まっている人がいましたら、行動することの大切さを教えてくれる物語だと思います。(Yさん)
都会育ちの主人公、青山は田舎に移住します。美しくて豊かな自然の風景の描写が、はっきりと頭に浮かび、物語に引き込まれました。最初は現代ドラマ風の物語で進んでいくのですが、途中から少し童話風の要素も入り始めます。作者様の持ち味である「重厚さ」「リアリティ」と「童話要素」がうまく混ざり合い、不思議で優しい風合いを出しています。田舎暮らしをしたことがある方も、ない方もぜひご一読ください。(Aさん)
都会に疲れた夢見人たちよ、勢いでIターン実行する前に、これを読んどけ! いやあ、現在進行形で田舎に住んでる人間なら、誰もが気になってしまうであろう、このタイトル。「都会の喧騒に疲れたから、人生の楽園を求めて田舎に移住したくて……」とか思っているドリーマー気味な都会人のあなたに、私はちょっと待ったを告げたい。そして、なにも言わずにこの物語をそっと差し出したい。森の賢者たちが、田舎に住まうというのは、決して楽なことだけじゃないんだと、ストレートに説教してくれます。すごいぞ、森の賢者! もうですね、この物語、Iターン希望者へ配布する田舎暮らしの教材として、地元の町役場に置いといてほしいくらいです。夢見がちな主人公に田舎の現実を教えつつも、「地に足つけた考え方を持って、時には自分から一歩を踏み出す努力も必要なのだ」ということを、風刺を効かせて学ばせてくれます。「都会は人間関係が煩雑で、疲れちゃって……」とおっしゃるようなIターン希望者には、特に声を大にして言いたい。「田舎のほうが、人間関係の密度自体は、都会よりも遥かに濃ゆいのだ」ということを……。(Mさん)
都会生活に疲れた青年は、まるで他人との関わりを拒むかの様に、田舎暮らしに引っ込む。豊かな自然を満喫するが、ある日、不思議な事が起きて……流れる様なテンポよい文章、読んだ自分が体験しているかの様な臨場感、情緒あふれる意外性、深読み可能な現実的なテーマ性、そして何より、主人公の成長を、見事にまとめあげた傑作短編。自然の中で暮らすと言う事は、他者と断絶する事ではないのだ。(Oさん)
田舎暮らしの理想と現実は昨今でも話題として取り上げられることがあります。この物語の主人公・青山さんは、それでもかなり適応し田舎暮らしを楽しんでいました。そこに動物達が語り掛け、人と自然の境界を教える──その演出はただ説教臭いものではなく、幻想的かつ現実的なものとしてとても素晴らしい物語へと昇華されています。現代に於ける人の在り方と自然との協調という結末に至るこの物語は、田舎暮らしを望む・望まないに拘わらず読み手の心に不思議な読了感を与える名作だと言えるでしょう。(Aさん)
のんびりとした世界観。忙しい日々から少し離れた穏やかな風景が目に浮かんできました。でも、ただ穏やかなだけじゃなく自然の厳しさも描かれています。丁寧な語り口調が綺麗な世界観を生み出しているのかな。少しファンタジーな部分があるのが個人的にツボでした。(Mさん)
あとがき
小説など書いたこともなかった僕が、ある日突然小説を書いてみたいなと思い立ち、生まれて初めて書いたのがこの小説です。
せっかく書いたのだからと、応募規定に合いそうな地方文学賞に応募しましたが、初めて書いた小説で賞が取れるほど甘くなく、見事に落選してしまいました。その後、二作ほど書きましたが、またしてもダメで、自分の中では、小説を書くのはもうやめようかと思いました。なぜかというと、自分の時間を費やしてまで小説を書くという行為に意味が見いだせなくなったからでした。
実は、小説を投稿できるサイトがあることすら知らず小説を書いていたのですが、そういうサイトがあることを知り、せっかく書いたのだから一人でもいいから誰かに読んでもらいたいなと思いカクヨムという小説投稿サイトに入会し投稿したところ、思いもよらず、たくさんの人が読んでくれて、たくさんの応援やレビューをいただきました。
カクヨムは卒業しましたが、今でも物語を書き続けています。その力となっているのは、小説投稿サイトという新しい世界に飛び込み、たくさんの人と知り合い、たくさんの言葉をいただいたからだと思っています。
新しい扉を開けることは、勇気がいります。
でも、そこには想像もしなかった世界が広がっています。もちろん、そこでも辛いこと、苦しいことがあるのも分かっています。でも、やっぱり僕は、扉を開けて、新しい自分、新しい可能性を探し続けていきたい、そういう人間でありたいと思っています。